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宗派について

どんな時も信念を貫いた聖人の教え、日蓮宗。
<日蓮宗>
 鎌倉時代に生まれた日蓮宗。日蓮聖人は仏教の経典をすべて読み、お釈迦様が悟った真理は法華経にあると知り、その教えを広めました。
日蓮宗の教義は、「法華経の魂を、お題目にこめられた宗祖の教えに導かれて、私たちが信仰に励み、この教えを広めることによって、やがて世界の平和と人類の幸福ひいては個人の幸せにつながる」ということを確信できる教えであります。
日蓮宗新聞社発行パンフレット「日蓮宗」より一部引用)

<日蓮大聖人>
 日蓮宗の宗祖、日蓮大聖人は貞応元年(1222年)生まれ、11歳のときに勉学のために清澄寺へ登り、16歳で出家。その後、数多くの経典や書物を学び、法華経こそ真実の教えであると確認されました。「立正安国論」を北条時頼に上呈するも、幕府や他宗派により迫害を受けました。中でも、鎌倉松葉谷草庵焼き討ち・伊豆流罪・小松原の襲撃・龍ノ口の頸の座、そして3年にわたる佐渡遠流が4大法難として有名です。
 佐渡に流された際には重要な御遺文を残されました。「開目抄」と「観心本尊抄」です。この会得した世界を大曼荼羅に顕され、本寺でもそれを御本尊としています。
 やがて日蓮聖人が予見した蒙古襲来が現実のものとなり、鎌倉に呼び戻され、身延山に入り自らの教えの完成と弟子信徒の教育に専心されました。弘安5年(1282年)、湯治療養のための旅の途中、自らの示寂の近きことを知り、最後に「立正安国論」を講じ、弟子らに囲まれながら日蓮聖人は60年のご生涯を閉じられました。墓所は自らの魂が留まる身延山にとの聖人の遺志により、ご遺骨は身延の地に納められました。

<日親聖人>
 日蓮大聖人没後の120年後に生まれ、日蓮聖人の生涯を自らの実体験によって、その教えを貫こうとしました。その結果、行く先々で迫害にあいますが、決して諦めることはありませんでした。6代将軍足利義教を改宗させるため「立正治国論」を書き、直訴しましたが投獄され拷問を受けます。熱くなった鉄鍋を頭に被せられても屈しなかったという伝説から「鍋かぶり上人」とも呼ばれています。


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