さて、今回は平安時代の仏教界のもう一人のカリスマ

弘法大師 空海の話です

空海は現在の香川県に生まれ、その名の由来は次のように伝えられています。

室戸岬の海岸沿いの洞窟で修行をしている時、口に明星(金星)が飛び込んできた。この時、空海は悟りを開いたと言われている。その時、洞窟の中で空海が目にしていたのは空と海だけであったため、「空海」と名乗ったと伝わっている。

口に金星が飛び込んできて、それで悟りを開く?
到底信じがたいことですが、伝説でございます!
ここはグッと飲み込んでください

延暦23年(804年)、遣唐使の留学僧(留学期間20年の予定)と唐に渡りました。
同時に別の船に乗って唐に渡ったのが伝教大師最澄です。

唐に渡って空海が師事したのが、中国で密教の権威と言われていた高僧でした。

密教とは、読んで字のごとし、秘密の教えです
でも決して怪しい教えではありません。

一人の弟子に一人の師匠が口で教えを説く。
「一子相伝」です。
他の教えは、言葉や文字で伝えますが、密教は口で伝えます。つまりは「口伝」です

言葉では表現できない仏の悟り 
神秘的、象徴的な宗教です

インドのヒンズー教の影響を受け、「仏の教え=宇宙だ」という非常に壮大な宗教です。

私も学生の時に、講義を受けておりましたが、理解できませんでした。

なにとぞご容赦下さい。

さて、師から密教のすべての教えを伝えられた空海は、遣唐使としての20年の任期を終える前に帰国しました。

国との約束を破ったのですから、本来は死刑になるはずですが、当時の天皇に「空海を死刑にしないでください」と言う陳情書を出したのが、一緒に唐に渡った最澄でした。

最澄の陳情を受け、天皇は空海を呼び、
「密教とはどのような教えであるのか」と尋ねました。
「それでは即身成仏の実際をお見せしましょう」と空海が言うと、その体が赤く光り、大日如来(密教で説かれる最高の仏様)に変身しました。
これにより空海は、死刑を免れた、と言うことです。

友人である最澄の陳情により一命は助けられましたが、この後、二人は小競り合いを起し、決別しました。

(その理由が「仏教の本の貸し借り」と言う非常に些細な事らしい、というのを少し前に仏教を分かりやすく解説してくれたテレビの番組で知りました)

空海が唐で得た知識は、密教に関することだけでなく、その知識を生かして、土木工事の指揮をしたり、民衆のために学校を建設したり、仏像を彫ったり、精力的に活動しました。

さらに、現代に生きる私たちもその恩恵を受けています。

日本人が好きな温泉です♨♨♨

日本国内に湧き出ている温泉の約3分の1を空海が発見したと伝えられています。

温泉の話をすると、温泉に入りたくなりました。
5月の連休も近いし、別府とか湯布院に行きたいですね!